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<25話・ストーリー>
冬休み前の終業式。
礼は優樹を探すが見つからない。
別場面。
母親のパート先で優樹の母親が美言の母に対して、もう優樹と関わるなと言い放つ。
優樹の母は子供に対して「大人が良し悪しを示して正しい方向に導いてあげないと…」と言うが、美言の母は「母親の自分は家族のことを理解してそのうえコントロールできるものだと本気で思ってるんですか?」
、「家族は一番身近な他人でしょう?」と返すのだった。
また別場面、美言が礼の「動画に出るのを辞めたいと」と言ったことに対して少し考えていた。
そのとき、美言の携帯に「ファミリー・チャンネル」のライブ配信開始の着信が流れた。
驚いてみて見ると、そこには虐められている礼の姿が。
終わり。
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<26話・ストーリー>
優樹の母と口論中の美言の母は、美言の連絡で礼がいじめを受けている生配信が今現在なされていることを知る。
そこには虐められている礼とそこへスマホのカメラで近づく優樹の姿があった。
優樹が虐めている子供達のクラスと名前を後悔して拡散するように動画で促す。
それをされた虐めっ子達は優樹を取り押さえスマホを採り上げようとするが、それに抵抗する優樹。
おかげで手が自由になった礼が地面に落ちたスマホを見ると、生配信コメントに「道化になるといいよ」という美言らしき人物からのメッセージが。
その言葉で礼はスマホをもって立ち上があり、虐めっ子達と優樹が取っ組み合いをしている所へスマホのカメラを向ける。
終わり。
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<感想・分析など>
母親の言動は一種悟りを開いている様にも見えるが、先日起きた自らのショッキングな経験に引っ張られてやや極論に行ってしまっている。
というより、
生物学的な特徴から見ると、実は優樹の母の言っていることの方がより実態を表していると言えよう。
子供というものは成長の途上にあるため大脳新皮質が発達しきっていないため、倫理観や道徳観などの物事の善悪や正誤の判断が育ち切っていない。
誤解を恐れずに言うと、人間というよりは動物に近い。
動物を人間にしていくのが子育ともいえる。
そういう意味では優樹の母の考え方はある意味正しい。
だが美言の母は、美言という一昔前の基準で見ると生物学的にはすでに成熟しているが現在の社会制度上子供として扱われている人間について話をしている。
つまり、優樹の母は優樹のことを念頭に置いての発言であるが、美言の母は礼ではなく美言のことを念頭に置いて話している。
話が全くかみ合わないのだ。
ファミリーショー的には美言の母親の内容が的を射ている様な印象を着けたいのかもしれないが、そもそも発言の切り口が優樹母と美言母ではまったく異なっているので、話が平行線のまま交わっていないというのが実際である。
この辺は作者の未熟さが現れてしまっている様にも見える。
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