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「座頭市物語ノワール」について(第1話・ネタバレあり)

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https://www.oninkun.com/back-issues-of-kyokuto-necromance
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前話までの感想はこちら↑↑↑↑↑↑↑
那波歩才が青年誌で連載を始めたようなので極東ネクロマンスの供養もかねてレビュー。
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<ストーリー>

時代は天保の飢饉や改革の頃、主人公は題字の通り、座頭市である。
・座頭市を知らない人はググってから読もう。
この辺は「教養」ならぬ「常識」である。
以降、座頭市のことは先例に倣って市と呼ぶ。

冒頭から所帯も持ちたいとつぶやく市。
ご存じ市は盲目で按摩である。

客の按摩をする市。
それを見つめる少女の花。
・女の子が描き方がちょっと可愛い。
この辺は才覚出しちゃってる感じがする。

花と市は知り合いで朝の散歩を一緒にする間柄である。
丁度その時、市の連れの犬がカモを捕まえて腹をすかせた小僧に渡してやる。
・八(犬)が小僧に鴨を渡す描写を見て、数コマ前の八が咥えていたものが鴨だと初めて分かった。
鴨が生き物というより石膏のように感じる。
いくら鴨が死んでいるからと言って生き物・餌感は出して欲しいものである。
この辺の描写力の雑さや粗さがジャンプの連載を打ち切られた一因でもあるのだろう。
そういう意味では、色々な意味で緩い青年誌ならば作者には有利な土俵と言えよう。

この辺りからナレーションが入る。
時代は飢饉などにより、民衆は貧困の極致に達していた…という風味のナレーション。

市は多少の時間逗留した小鹿村を出ていこうとしたが、出ていこうとするときに小鹿村を襲わんとする野党に出くわした。

一方、花も市が村を出ていくのを見たという話を聞き、市の見送りをしようと市の元へと向かった。
また花に横恋慕している侍の折部は花が市の元へ向かうのが気に食わず、花を追った。
折部は、自身の侍としての力を使って、花を無理矢理輿入れさせた(ようとしていた)のだ。
・この辺がどちらか分かりにくいのが、この作者のマンガ力の弱さである。
結局どっちなんだよ。
花の父親の言からすでに嫁にしたとも見えるし、花の回想の周りの人の「観念せい、暮らしが楽になる」「苦しみが百姓の天明なんじゃ」という言から嫁になるまであと一歩と見ることも出来る。
ココは解釈をの余地を残す所ではないぞ、那波君。

花が座頭市を追いかけてようやく座頭市を見つけた時、座頭市は小鹿村を襲う別の村と用心棒一行と戦っていた。
だが用心棒は市の刀に一閃される。
用心棒が破られた別の村の人々は蜘蛛の子を散らす様に逃げる。
ちょうどそこへ花を追ってきた折部がやってきたので、逃げおおせる村々の人々が、「わしらが小鹿村で暴れてあんたがわしらを追っ払う話だべ、女にいい所見せてえって」と分かり易く、折部が全ての黒幕だったことをばらして逃げていく。

悪事が露見した折部はこれが外に漏れないように、話を聞いていた花を斬ろうとするが、市の眼力が折部の刀を止める。
折部が花を斬れば市が即座に折部を斬る…そんな予感を折部に感じさせる市。

尚、折部は市の頭の入れ墨を見て何かを察し、その後花に手を出すことを引いたのだった。

花は別れ際に市にサヨナラと言い、市も自身に対して欲張っちゃいけねえ、と花都は別離の道を歩むのだった。

終わり。

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<感想・分析>

「まるで成長していない」
安西先生の言葉が脳裏に響いた。

少年誌から青年誌に移ったことで題材が青年誌っぽくなっているだけで、やっていることやスキル(構成セリフ演出)は(悪い意味で)何も変わっていない。


上述した様に分かりにくい描写が散見される。
しかもそれを時代劇という一般には馴染まない設定描写が故に説明責任を放棄して、分かりにくい描写に対する隠れ蓑として時代設定を使ってしまっている。
特に気になる点が以下。
①犬が咥えているのが鴨だと分かるのが数コマ後。
②折部が花をめとったのかめとっていないのかが中盤では分かりにくかったところ。
③そして冒頭と最後にセリフの矛盾である。
犬の話(①)と折部の話(②)はまあ分かると思うので、市のセリフの矛盾(③)に関して下記に詳述した。

冒頭の第一ページで市が「俺は所帯が持ちてえんじゃ」と言っているにも関わず、終盤において花と別離の道を歩む理由を「相容れない」という一言で片づけてしまい、具体的説明がなされていないため説得力が全くない。

漫画に限らず、小説・映画・テレビの冒頭は古今東西、製作者が一番大事にすべき箇所である。
その理由は、冒頭こそが読者が最も見る箇所であり、そこでその後を読んだり見たりしてもらうかの分水嶺だからだ。
それは勿論作者側も重々承知している。
つまり作者が最も力を込めるべき箇所は物語や書き出しの「一番最初」である。

今回の話では、時代設定のナレーションとその次の見開き大ゴマの市が「所帯を持ちたい」と言っている描写が作者が最も力を入れて描いている、且つ最も伝えたい主題にしたい箇所である。

であるにもかからず、冒頭で市の話した所帯を持ちたいという内容と、1話の物語の終わりにおける花に対する市の態度の違いについての理由・詳細が全く説明されていないのはいったいどういう訳だろうか?
違和感を覚えざるを得ない。

勿論花との朝の散歩の日課の中で、「(市は)旅が天命で花は異なる」という市と花との運命の差異があっさりと言い訳がましく描かれているが、何故違うのかが全く説明されていない。
そもそも花は天命を否定しているし。

正確に言うならば終盤で「剣と人との営みは相容れない」という論で説明をされているが、これでは正直不足している。

というのも、市の希望していることは冒頭でも明らかな様に「所帯を持ちたい」という事である。

だが市の花に対する主張は「剣(市)と人との営み(花)は相容れない」というものである。
故に花とは一緒になれない=連れていけないという解釈になる訳だ。

では市の理想状態とは一体何なのか?
この辺の心理描写を描かずして第1話を切って何の意味があるのだろうか?

そう考えて見ると、花との散歩道で「市の旅は天命で花はと違うという」と言った市の言葉自体が、市自身の言葉というよりはまるで今後の物語りを動かすためにメタ的におかれた布石にしか見えない。

読者というか私が、この1話における冒頭の市のセリフと終盤の態度の相違を見て何を感じるのかというと、
「市の言行が不一致なのでは?」→「というより、それに対する説明として作者の描写が足りないのでは?」→「もしかしてこの作者原作を読んでただ漫画にしているだけなんじゃ…」というなる。
かくして極東ネクロマンスを同じような評価を読者からは持たれるのだ。


勿論天下のジャンプというメジャークラスが戦いの舞台ではなく、ビックコミックという独立リーグクラスでの連載なので、作品に対する負の評価というものはそれほど出てこないだろう。
作者付きのコアなファンがただ崇め奉るだけのゆるーい宗教的持ち上げ方をされてしばらくしのげることが予想される。
だが個人的に思うのは、極東ネクロマンスの連載の経験をしっかり活かせているのか疑問が湧いて出てしょうがない。

とりあえず作者に言いたいことは、

「「成長しろ」。「成長」しなきゃあオレたちは「栄光」をつかめねぇ」-プロシュート(JOJO)より

というやつである。


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