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「黒月のイェルクナハト」について(第6話・ネタバレあり)

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3ZI3IC+76E5BM+348+601S2
https://www.oninkun.com/back-issues-of-yelknahat-of-the-black-moon/
ロリポップ

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<6話・ストーリー>

2人の女性と一緒に風呂に入るなろう少年。
全部まる見えらしい。

その後ノアが今後の話をしようと持ち掛ける。
ノアが何やら下品なことを言う。
とりあえずイェルクナハトとしのぎがまだ致していないことに驚く。
しのぎに対してそもそもどうしたいのか聞く。
応えようとするしのぎに対して、また別のハプニングが。
・結局これあれだろ、その都度邪魔が入って革新的な事は一切始まらず、触れないという展開だろ。
マガジン得意の恋愛漫画の微エロバージョンである。

マンションの下に警察が来ていた。
電車がたくさんある件で来た様だ。
とりあえずスポーツカーでとんずらをこき、高速で飛ばす3人。
2人のハイラントによると、言えるイェルクナハトとノアを含むハイラントは「人の果てを見て最後は人を疎んだ」元人間らしい。

とりあえずしのぎはどうしたいのかを話すが、しのぎはここで陰キャ気質が出してくる。

以下しのぎの主張。
自分に自信がない。
優しく賢く正しい周りの人々に恵まれているのに、周りの人が疎ましくてしょうがないクズ。
イワシを例にとる。
イワシはマグロや鳥に追われて人生を終える。
追われて食われるだけの人生なのに自殺しないことに不思議に思う。
そもそも追われるだけの人生は自殺したくなる。
一方俺の方がイワシより賢く正しい。
だが自分は不幸だ。
一方イワシは生き生きと生きている。
同様に生き生きとした人に対しても同じような感覚を覚える。
そんな感覚がある自分は自分はクズ。

・ちょっと言っている意味が分からない。
しのぎはイワシを例に取り、イワシに対する感覚を周りの人に対しても感じると言っている。
そのためイワシ=人と一旦みなす。

・すると以下の様に翻訳できる。↓
『被捕食者=負け組の人生は嫌だ。
一方、自分は負け組よりも賢く正しい。
だが負け組は生き生きとしているが自分は不幸に生きている。』
と、こんなところか。

・恐らく作者は内面的な心情を言いたいのだろうが、国語的論理能力、文章作成能力の欠如により、意味不明な文章となってしまっている。
詳細は後述する。

イェルクナハトとノアは納得する。
そしてしのぎがドライバーとなり、警察のバリケードを突破して、3人で大空に舞い上がる。

終わり。

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<感想・分析など>

しのぎの価値観についての以下疑問。
しのぎの価値観はこうだ。
「イワシの様に被捕食者=負け組なのは嫌だ、追う側=捕食者=勝ち組の人生を生きたいし、自分は負け組よりも賢く正しく生きている勝ち組なのだ。」という事になる。
しのぎが疎ましく感じるのは、イワシを例に取った様に「負け組なのに生き生きとしている人々」である。
これは分かる。
にもかかわらず、「周り」にいる「優しく賢く正しい人々」を疎ましく感じているのだ。
しのぎの家は「超絶勝ち組」なのだから「捕食者側」である。
だからしのぎの「周り」の「優しく賢く正しい人々」は「捕食者側」=「勝ち組」である。
彼らを疎ましく思うのは、負け組を疎ましく思うのとは全く異なる理由であり、しのぎの主張の説明は全くもって論拠不十分と断じざるを得ない。

つまり、しのぎの内面をイワシというたとえ話を使って理屈っぽく説明しているが、そもそもしのぎの主張とイワシのたとえ話は全く関係ない話となってしまっている。
にもかからず、イェルクナハトとノアは納得している。

非論理力に対して非読解力で適応してしまっている事態が生じているのだ。
あまりにディスコミュニケーションが過ぎる非リアル性を帯びているのだ。

そもそもの話なのだが、作者は日本語能力が低いのだろう。

ここで本当に問題にすべきなのは、しのぎ自身の本当の問題は、自身がクズであると主張していることよりも、「自分は不幸だ」と考えている理由であろう。
それが自己の中で明確化されていなければ、彼自身の不幸は永遠に解決しないのだろう。
まあ、作者はそこまで考えていないけど。

そもそも、自己に対する幸不幸という思考は抽象表現である。
抽象とは、具体的事象から共通性を抽出して個別性を捨象したものだ。
すなわち、幸不幸という抽象的自己評価の背景には、具体的事象や体験が頭の中によぎるはずなのだ。
だが、それをあの場で言語化していないという所からすると、しのぎの不幸などというものは単なる字面の表現としてであり、不幸という表現を作者自身さえも何も考えていないキャラクターにくっつけているラベルにしか考えていないのだ。

恐らく作者はカウンタカルチャー的なロックの主張をしたいのだろう。
だが、キャラクターの中身が余りにも空っぽなため、悩みの深刻度がなくキャラクターに全く共感をすることができない。
この漫画に残るのはイェルクナハトのエロだけとなる。
つまりこの漫画の価値は、戦闘描写とエロだけである。
それならばストーリーなど無視してエロとバトルだけずっとやっていけば、より振り切れて寧ろ良いのに…。
なまじ賢しらにふるまうからこそ、作者の無知を全国雑誌で晒すことになり、無知と恥の上塗りをすることになる。


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