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子供の成績が上がらないから塾を変えようという、学習の本質を全く理解していない人間の典型的な凡発想と学習塾の役割

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塾に通わせている家庭の声で
「子供の点数が全然伸びない」
「塾に通わせているのに全然やる気もない」
「塾を変えようかしら?」
というものがある。
この様な考えを持つ家庭も多いが、これは笑止千万である。
塾を変えても点数が伸びることは殆どない。

なぜなら子供のテストの点が上がらず、やる気もないのは塾が問題なのではないからだ。
本当の原因は点数の上がる手順を理解していない事と子供自身に問題があるからであり、それらの背後には家庭が原因としてあるのだ。

つまり、子供のやる気もないし点数が上がらない原因は家庭・親にあり、彼等に責任がある。

なぜやる気も点数も低空飛行である子供の現状の原因が子供自身ではなく親にあるのか?
それを説明するためには、まずテストの点数が上がる仕組みについて解き明かしていこう。
・テストの点数が上がる仕組み
点数が上がる仕組みは非常に簡単である。
テストには範囲があるので、その範囲内で出てくる内容や問題において、
①「不明点を解決する」
②「解法を習得する(解決した不明点や類題を出来るようになるまで練習する)」
これだけだ。

テストの点数は①「不明点を解決」しただけでは上がらない。
分かる=出来る、ではないからだ。
というのも多く子供が語る「分かった!」は実は「解き方を見た!」という事に過ぎない。
見ただけで理解して記憶したわけではないので、類題はおろか同じ問題さえ解くことが出来ないことが殆どだ(特に数学系)。
つまり問題を「分かった!」だけではなく、分かった問題自体か類題を繰り返し解いて正解して、不正解だった問題の解法を身につけなければならないのだ。
そこで初めて問題が出来た(②「解法を習得」した)となるのである。

なお、この②「解法を習得する」、つまり「分かる」から「出来る」状態に持っていくまでにかかる時間というのは、不明点を解決する時間の最低2~3倍かかると認識してもらっていい。
②「解法を習得する」という作業は、実は恐ろしく時間がかかることなのだ。

更に言うと、②「解法を習得する」作業というのは、学校の時間でもなく塾の時間でもなく、学校・塾の授業以外で子供本人がやる必要があることなのだ。
学校や塾では習得することは限りなく難しい。
何故か?

塾で学べる時間は実は恐ろしく短い。
1科目平均週に1回の60~90分である。
これは学校と比較すると、1/3~1/5程度である。(週に英語が学校で5時間行うのに対して、塾では1時間~1.5時間。)

そして塾ではまず学校で分からない所を中心に対策していくので、①「不明点の解決」にかなりの時間を使う。(これは塾の形態が予習型でも復習型でも事情は同じである。)
学校で分からないわけだから当然学校よりも丁寧に時間をかけて該当箇所に解説が必要になってくる。
学校の授業1回分(45分や50分)程度で不明点を全て解決できる生徒など実際には殆ど存在しないのだ。
また学校は実は未知の事柄を伝えるという別の役割がある。
詳しくは後述する。
最低でも90分以上しっかりした解説が必要になってくる。

つまり、学校の1/3~1/5しか持ち時間のない塾が①「不明点を解決する」と②「解法を習得する」の両者を十全にこなす時間を確保することはできないのだ。
塾という仕事・サービス本質・本分とは、時間のかかる②「解法の習得」ではなく、短時間で対応できる①「不明点の解決」なのだ。
だから塾の時間で②「解法を習得」することは不可能なのである。

なお、上述したが、もし仮に②「解法を習得する」を塾で行うとすると膨大な時間がかかる。
仮定の話だが、二次関数の変化の割合辺りで躓いている子供がテストで75点以上に行くまでに、二次関数の不明点の解説から二次関数の解法の完全習得まで全て塾で行うとすして1科目週1回程度の通塾頻度だと、軽く見積もって1年はかかる。二次関数の範囲だけで1年である。

なお当然ながら、学校の授業の時間は②「解法を習得する」時間を設けるわけにはいかない。
何故なら学校の授業では未知の事柄を教えることが本来業務であり(いうなれば⓪「未知の事柄を教える」といったところか)、そのことに時間の大半を使うからである。

つまり、
学校は⓪「未知の内容を教える」所、
学習塾は①「不明点を解決する」所、
という位置づけなのである。

ゆえに学習塾の仕事とは①「不明点を解決する」ことであり、②「解法を習得する」は学習塾の仕事ではない。

そうなると②「解法を習得する」ための練習は、学校でも塾でもなく、子供自らが時間を取って行う必要が出てくるのだ。


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さて、上述した様に子供がテストの点数を上げるためには、塾や自宅で①「不明点を解消」して家・図書館などの自学で②「解法を習得する」ことで初めて効果が出てくるわけであるが、そこで出てくるのは、親がよく言う「子供のやる気がない」問題である。

一応ここで前提条件を確認しておきたい。
親がよく言う「子供のやる気がない」とは何を言っているのかという事である。
というのも「子供のやる気がない」という文言は、何かを言っているようで何も言っていない非常に不明確な文言なのだ。
そこでまずはこの「子供のやる気がない」という文言が、結局は子供がどういう状態なのかを明らかにしていく。

人は具体的な状況や行動を抽象的な表現で象徴する。
親がよく言う「子どものやる気がない」という表現も結局は具体的状況を抽象表現で表しているに過ぎない。
結論から言うと、「子供のやる気が上がっていない」という抽象表現の背後にある具体的状況とは、「家庭で勉強していない」ということである。
「うちの子供やる気がない」と親が話している状況というのは、子供が「家で勉強をしていない」ことを「やる気がない」と表現しているのだ。

さてここ冒頭で出した
「子供の点数が全然伸びない」
「塾に通わせているのに全然やる気もない」
「塾を変えようかしら?」
という文言が、なぜ笑止千万なのかを見ていく。

「やる気がない」という文言を上述の如く具体的にしてみた上で、冒頭文を翻訳すると、
「子供の点数が全然伸びない」
「塾に通わせているのにうちの子供は家で勉強をしていない」
「塾を変えようかしら?」

冒頭文の述べている内容とは要するに、家で勉強をしていないことの責任を塾に求めているという事だ。
滑稽以外の何物でもない、全く的外れの文句にしてダメ親の典型である。

子供が家で勉強をするか否か、つまり子供の家での振る舞いの監督責任は当然その子供の親である。
なぜなら学習塾の講師は家の中にはいないのだから当然である。
子供が自宅で勉強するというのは、塾の仕事ではなく親の仕事なのだ。

だがこういう話をすると、
「『やる気を上げることで勉強するようになる』と入塾の時に聞いたぞ」
とか
「金を払っているのに子供の生活態度が全く変わっていないぞ!!」
と叫び、自らの不手際の責任を塾に押し付けようとする家庭(特に父親)が出てくる。

だが、私はこういう家庭の声を聞くたびにいつも思う。
果たして塾が子供を指導したことで、塾の管轄外の時間帯でも子供が「やる気」を十分に発揮して自宅でも終始勉強できるようになると本当に思っているのか?
たかだか月2~3万の金額で?

そもそも大人の社会では、月20万円以上も貰っておきながら、時間以外はそのことについて一切考える必要がなく、且つ週の内2日は一切仕事はしないし考えもする必要がない、週40時間労働という労働慣行がまかり通っている。
にもかかわらず、なぜ子供だけは学校や塾以外の時間も学習のことを考えなくてはいけないのだろうか?

子供が学校や塾以外の時間も勉強のやる気を出すという事は、社会人が勤務時間以外も終始仕事について仕事をしたり、勉強・研鑽を積むという事と同義である。
会社が会社員に勤務時間以外に仕事を要求できないのと同様に、塾も子供に塾滞在時間以外は学習の継続を要求できないのは当然ではないだろうか?

大人ができないことを子供ができるはずはないことは正に自明の理である。

家庭を持ち子供を持つという、それなりの社会経験を備えた大の大人が、上述の様な「子どものやる気スイッチを入れます」式の塾の宣伝文句をそのまま真に受けるのは、あまりに愚かではないか?

それを「餅は餅屋」とかいうしょうもなことわざを盾に、本来自分たちがすべき行動をアウトソーシングして、金銭を媒介にしたことを良い事に自らの教育の10数年の不手際を責任転嫁する家庭の親は、文句を言うことで溜飲は下がるだろうが、子供は永遠にできるようにはならないし、終局的には結果も出ない結末を子供自身が負うことになるということはよく肝に銘じておくべきだ。

金を払えば何でも解決できるわけではない。
それは単なる他責思考であり、責任の放棄であり、何事もなしえない論者の典型な思考である。
最近はサービス業の勃興のせいか、「金を払ってこのサービスさえ受けていれば万事解決だ」と安直に考え、ほかの努力や思考錯誤を一切せずに、上手くいかなかったら自分のせいではなく他人のせいにする考えの手合いが多すぎる。

これも現今の塾が「教育」というものを教育をサービス産業として売り出してしまった(広告してしまった)ことに一定の原因があるのだろうが…。

いずれにせよ、学力を司る塾という業種を、金を払えば解決できるサービス業の一種と勘違いをする親が多くなってしまった。

そもそも教育や能力の成長を扱う職業(塾など)とは、サービスを売るサービス業の一種ではあるものの、クリーニング屋やスーパーといった接客サービス業とは全く異なる。
クリーニング屋やスーパーは金銭を支払うことで野菜が欲しいご飯をクリーニングをして欲しいという需要を解消できるが、学力向上・能力の向上とは、金を払えばや対価が手に入、望みが叶えられるというものではない。

成績の向上解決は子供本人の行動が左右するのだ。

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